大学卒業後、私はとある建設会社へ入社。この頃の私はとっくに建築家の夢を諦めていましたが、5年間も学費を払い続けてくれた両親に申し訳ないのもあって、ゼミの教授に泣きついて紹介していただいたのです。今考えると、興味のない会社へ就職するって失礼な話。でも当時は、大学を出てまでフリーターになるという選択は、自分の中でありえなかったんですね。 建設会社で私は総務部に所属し、いわゆるOLという立場になりました。来客があればお茶を準備したり、大量のコピーをとったり、お局さんの雑用を手伝ったり、社長の別荘の掃除をしたり。まだ若く、就職というものを甘く考えすぎていた私は、あまりにもつまらない業務の数々にうんざり。3ヶ月で退社してしまったのです。わずかな期間ではありましたが、社会に出て働くということが少しだけ理解できた私は、やっと自分のやりたいことが何なのかを真剣に考えるように。 昔から変わらず文章を作ることが好きでしたから、「言葉に関わる仕事をしよう」とはっきりとした答えが出ました。しかし、恥ずかしながらコピーライターという存在すら知らなかった私。インターネットや書店でいろいろ調べた結果、やっとこの職業にたどり着いたのです。 『おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。(映画「魔女の宅急便」)』『おしりだって、洗ってほしい。(東陶機器)』など、その昔話題になった糸井重里さんや仲畑貴志さんの名キャッチコピーを見て「私がやりたいのはコレや!」となったわけです。そうして無知な私は“キャッチコピー1本100万円”みたいな世界への憧れから、この業界をめざそうと決意。言葉のセンスはいい方だと、なぜか根拠のない自信がありました(若いってすばらしいw)。
私はすぐに「言葉の作品集を作ろう」と思い立ち、家にある小物をパシャパシャと撮影。その画像をパソコンに取り込んで、それぞれにインスピレーションで言葉を入れていったのです。大喜利の「写真で一言」みたいな感じ。錆びたやかんの写真には『ココロは錆びていないよ。』的な、ちょっとエモいコピーだったと思う。とにかく自分に何の実績もないので、言葉を勝手に作るしか方法はありませんでした。 その後、求人雑誌を数冊購入して数少ないコピーライターの募集広告をピックアップ。どの会社も3年以上の実務経験者を求めていましたが、「未経験ですが、面接だけでもお願いします!」と、片っ端から電話をかけまくりました。すると、そのうちのA社(デザイン会社)が反応してくださったのです。当日は、即席で制作した写真で一言集と大学の卒業制作を抱えて面接へ。結果は不採用でしたが、社長さんの熱い思いと業界のおもしろさが知れて私は大満足。ここで完全に「コピーライターになるぞ」のスイッチが入りました。 基礎からしっかりコピーのことを勉強しようと考えた私は、宣伝会議のコピーライター養成講座へ通うことに。両親を説得し、申し込みを済ませた直後のことです。なんとA社から連絡が!「欠員が出たので、よかったらうちで働きませんか?」と。思わぬ朗報でした。すぐに養成講座をキャンセルしてA社へ入社。人生にはタイミングってあるんやなぁと、ご縁のすばらしさを初めて実感した瞬間でもありました。何者でもない私の可能性を買ってくれた社長さんには、今でも感謝しかありません。まりこ、23歳の夏でした。
A社はスタッフが10人にも満たない小さな会社で、大手電機メーカーのカタログや大手通信会社の定期物などを制作していました。広告制作のど素人の私にとって、少人数でアットホームな職場環境はとてもありがたかったな(この時の同僚とは、今も仲良しです)。コピーライターには資格というものが存在しないので、誰かに認められるまでは自分自身でも半信半疑…。だからこそ、名刺の肩書きが「アシスタントコピーライター」から「コピーライター」へ変わった時の喜びは今でも忘れられません。 この会社では、主要クライアントからの定期案件に加えて、イチから企画書を書いて提案するようなプレゼン案件もあり、コピーライター上がりの社長の横でじっくりと学ばせていただきました。 そして2年後、「もっとメジャーな案件に関わりたい」というギラギラした理由でA社を退社。某広告プロダクションでクリエイティブ営業(コピーライターの枠が空かず、すぐに退社。ゴメンナサイ)を経験したり、派遣契約でコピーライターとして短期のコンペ案件に参加したり、それなりに広告業界にしがみついてはいましたが、なかなかうまくいかず焦っていた時期でもあります。
そんな状況の中で、私はある方に出会います。当時では珍しかったクリエイティブ系の派遣会社エイクエントの女性エージェントさん。まだそこまで実績がない私のキャラクターやギラギラした感じ(笑)をおもしろがってくださり、必死で次のステージを探してくれたのです。 26歳の時、前出の女性エージェントさんの紹介でB社に入社。B社は、グラフィックデザイナー・コピーライター・クリエイティブ営業が約80名ほど在籍している比較的大きな広告制作プロダクションで、大手広告代理店からの受注案件がほとんど。CMの連動広告や全国展開のキャンペーンのコピーやネーミングなど、大型案件にも関わらせていただきました。入社当時は、その華やかさに圧倒されてかなり調子に乗っていましたね(ミーハーなので、テヘペロ)。 でもすぐに気づいちゃうんです、コレじゃないって。ずっと探していた、自分にとってやりがいのあるジャンル・領域は他にあったんです。それは、不特定多数に向けてではなく、特定の対象者に向けて丁寧に訴求していくコンセプトBOOKや販促物、共感を持ってじっくりと見てもらえる読みもの系のツールたち。クライアントさんと打ち合わせを重ねながら、育てていくステップが楽しくて楽しくて。「広く浅く」よりも「狭く深く」を選ぶようになっていった私は、5年後、今度はインハウス(自社商品の広告を社内で制作すること)のコピーライターをめざすことに。