30歳になった私は、B社を紹介してくださった例のクリエイティブ系派遣会社へ。あの時の女性エージェントさんはすでに退社されていたのですが、引き継ぎで入られた女性がこれまたクレバーで、しかもノリが最高で、すっかり意気投合。その方に「サノ(私の旧姓)さん、犬好きですか?」と聞かれ、「はい!」と答えたことがきっかけで、ペットフードやペットのケア商品を販売するベンチャー企業・C社への転職が決まりました。 C社で私は、社内唯一のコピーライターとして販促ツールやメルマガ、ECサイト内のランディングページ、コンセプトBOOKなどを任されました。この職場で働くスタッフは、当然動物好きな方ばかり。しかも圧倒的に女性が多かったので、私は“おっさん役”に徹することにしました(はぁ?)。今まで男性の多いサバサバした職場にいたので、女子の多い職場には1人でもおっさんが多い方がいいと思ったからです(はぁ?)。まぁつまり、一つのジャンルに狭く深く関われる環境で、女子たちと群れることなく粛々と業務を楽しんでいたわけです。同僚や後輩たちに「おっさん」と呼ばれながら(元々ナチュラルにおっさん気質です)。 この会社で身についた最大のスキルは、ロジカルシンキング(論理的思考)。外資系企業出身の経営陣たちが、終業後、社員のために時間を割いてマーケティングや販促などロジックに基づいた考え方をレクチャーしてくださったのです。今思えば本当にありがたい環境でした。ついでに社長は男前だし(カンケーないか、いやカンケーある)。 この会社で論理的思考を徹底的に叩き込まれたおかげで、どんな小さな案件に対してもロジカルに考える癖がつきました。
C社を去った理由は、当時の会社状況によるものでした。なので完全に円満退社ですし、社長は私の次のステップを心から応援してくださいました。犬にも猫にも社員にもあたたかく、今でも大好きな職場です。 その後、数ヶ月ほど派遣社員として別の会社で勤務しましたが、契約満了のため再び例のクリエイティブ系派遣会社へ。どれだけ転職を重ねても、あたりまえのように肯定してくれるエージェントさんの存在には本当に救われました(涙)。コピーライターという職業を把握し、私のキャラクターやスキルを完全に理解し、紹介先の会社の運営状況や社風をリサーチし、ミスなくマッチングしてくれるエージェントさんって本当に貴重だと思います。 結婚したばかりの私は超安定思考だったので、お給料もそこそこあって産休育休が取りやすく、とにかく女性が働きやすい会社を求めていました。そこで紹介されたのがD社。D社には制作部門だけでなくレストランや宅配ピザ、子ども服のリサイクルショップなど複数の事業部があり、何ともおもしろそうな会社でした。 が、フタを開けてみると制作部門は繁忙期真っ只中。初日からがっつり残業があり、少し不安になる私。なんせ安定思考だったので、当初は効率的に業務をこなしてサッサと帰る、が目標だったんです。 ただ、社内にはすばらしいプランナーさんや細部までクオリティにこだわるグラフィックデザイナーさんがいる。しかも、広告代理店を挟まない(狭く深く関われる)直のクライアント案件がほとんど。さらにアットホームな社風があり、制作環境は私の理想そのものでした。 私にはコピーライターとしてのキャリアがあったので、業務の中で困ることはほとんどなく、むしろ頼られる感じが心地よくもありました。そう、気がつけば残業を「よし」としている自分がいたのです。やっぱりコピーを書くのは好きだし、一つひとつ制作物のクオリティを追求していくのはめちゃくちゃ楽しい。改めて、自分がゴリゴリの仕事人間であることを再確認してしまうことに。
D社ではその頃、売上の主軸である主要クライアントとは別に、新たなクライアントの獲得をめざしていました。その窓口として、コピーライターの私に白羽の矢が立ったのです。 ある教育系企業さんのチラシを担当したときのこと。「つじうちさん、これから窓口やってね」社長がさらりと言いました。先方の広報担当が全員女性だったので、こちらの窓口も女性の方がいいだろう、という安易な理由だったと思います(当時社内の営業担当は全員男性だったので)。 ライティング業務だけで終電帰宅になっちゃうような激務に加えて、電話やメールでの対応や先方との打ち合わせ、スタッフィング、スケジュール管理、制作進行管理、ディレクション、見積書や請求書の発行まで、窓口業務は多岐に渡りました。 もちろん、広告制作物の競合コンペがあれば企画書を書いてプレゼンして、受注すれば構成を作って、コピーを書いて。「なんで私がここまでやらなあかんねん。社長のオニ〜!」と、当時はブチブチ言っていましたね。しかし、持ち前のギラギラ闘志とロジカルシンキングを武器に、数々のプレゼンを勝ち抜き、そのうち広報担当者さんからの信頼を得るようになり、受注案件が増えてきた頃にはすっかり楽しさの方が上回っていました。 私が担当していた教育系企業さんは、やがて会社の主要クライアントに成長。ありがたいことに年間の売上もぐんぐん伸びていきました。それが評価されてか、私が35歳の時に第1子を妊娠した時には会社をあげて祝福してくださり、産休前日には全員で万歳三唱が行われました(笑)。
2013年8月、第一子の長女が誕生。産休まで終電帰宅の多い仕事漬け生活を送っていた私は、どこか出産を逃げ道にしていたところがあったのかもしれません。とにかく休みたかった。待望の赤ちゃんとの暮らしに幸せを感じる一方で、物理的に仕事から離れることができた喜びもしみじみと感じていました。 しかし、私は産後8ヶ月で仕事復帰を果たします。4月から保育園に入園できるよう10月には申し込みを済ませていました。1歳児クラスからでは希望の園に入れないだろうし、あと1年も専業主婦でいるのは自分に向いていないと直感で感じ取っていたのです。 とはいえ、初めての子どもだったので思い入れは強く、0歳から保育園に預けることはそれなりに悩みました。家で搾乳した冷凍母乳と哺乳瓶を持って登園し、後ろ髪を引かれるような気持ちで泣く泣く最寄り駅へ向かう日々。こんな思いまでしてなぜ私は復帰したんだろう、と後悔したことも。でも今だから言えるんです、あの時復帰してよかったと。 少し先の未来を描いてみると、家族のためにもお金は必要だし(貯金苦手です…)、自分の生きがいのためにも私はさらに努力して次のステージに上がるべきだと思ったのです。「子どもが小さいうちは家で育てたい。可愛い時期はあっという間だから」という考え方もありますが、私はそれをふまえた上で復帰を選んだのです。復帰すると決めたなら本気でやらなあかんでしょ、と自分を奮い立たせながら。